【パワハラ】 – を訴える 許した覚えはないのだから

SocietyHardboiled, ハローワーク, 人生縁起, 労働基準監督署

なにか訴えることのできる方法はないのか?

あなたは間違っていない。そう謳った対パワハラポスターを見た。

あなたは間違っていない

ポスターにある「NPO法人 – 労働相談センター」に相談したことがあるというわけではないが、キャッチフレーズには賛同する。私自身、ハローワークに自己都合退職から退職理由補正申し立てをしたので、経過を含めて記述する。

 

気が付かなかったということは、運がなかっただけだ。気がつかなかったということを悔やむ必要はない。

自分が間違っていなかったのならば、ささやかでもいい、なにか第三者に訴えるものはないのだろうか?ということを考えるはずである。

​​パワハラ

 

「自己都合として退職した場合でも職安で『辞めざるを得ない状況だった』と説明し、職安が会社に確認を取り、それが認められれば会社都合になる。」との文章をネットで見つけた。 この文書をもとに行動を起こす決意をした私であるが、だが注意すべき点が二つある。

ハローワークに出向いて話を色々伺う中で聞いた話では、ハローワークから当該会社に直接、電話で確認をすることはまずない、とのことだった。

また、退職理由の補正が認められる場合とは、1)やめざるを得ない状況が認められたから、自己都合から「会社都合」へと退職理由が補正される場合と、2)自己都合から、会社都合ではないが辞めざるを得ない状況(「正当理由による自己都合退職」)に退職理由が補正される場合に、分けられるのである。

 

 

 

刑事責任と民事責任

パワハラ加害者は、刑事責任として、

名誉毀損
 刑法第230条
公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。

侮辱罪
 刑法第231条
事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。

名誉毀損における原状回復
 民法第723条
他人の名誉を毀損した者に対しては、裁判所は、被害者の請求により、損害賠償に代えて、又は損害賠償とともに、名誉を回復するのに適当な処分を命ずることができる。

を問われる場合があり、さらに民事責任として

不法行為
 民法第709条
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

財産以外の損害の賠償
 民法第710条
他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。

労働契約違反
 労働契約法第12条
就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については、無効とする。この場合において、無効となった部分は、就業規則で定める基準による。

も問われる場合がある。当該加害者を雇用している企業がパワーハラスメントを看過放置すると、職場環境調整義務違反 → 加害者・上司への懲戒処分などが訴求される場合がある。

パワハラ罪という罪状がなくとも、他の複数の罪状から他人への迷惑行為が浮き彫りになる。パワハラに手を染める人は、そういう意味で犯罪者であり、犯罪者がその罪状に相当する量刑で、時には非常に残忍な方法も辞さぬ構えで、罰せられることは、正義にかなっている。私はそう思う。

 

 

加害者に自覚がなく指導と思いこんでいるケースが一般的に跋扈する。このような病的状況に対抗するには、記録を残し、当該職場を管轄する労働基準監督署自身の住所を管轄するハローワークなどの行政機関等への外部告発・第三者への相談が有効であるので、実行していただきたい。

いつ、誰が、「〜」と言った発言、をメモする。 これが後で活きてくる。録音でなくてもよろしい。使える証拠である。

録音という手段もあるが、おすすめはしない。気づかれないように録音ボタンを押下したいのが人情だが、間違って再生ボタンを押下してしまって復讐相手の前でわざわざ過去の暴言を聞かせてしまった、ということにもなりかねない。実際そういう話を私は聞いたことがある。御愁傷様である。

ハローワークでは、本人の証言に加え、同僚等の2名の証言書を求められる。証言書をハローワークに直接郵送してもらう場合は、金がかかるが、郵便事故に備えて記録の残る方法で送ってもらったほうがいい。 そして証言書が出揃うと、問題の会社にハローワークは、事実の有無を問い合わせる。証言書が誰それから提出されたということが会社側に知らされることはない。

 

 

 

 

職場環境悪化の要因とは?

環境悪化の要因について考える

 

生まれ育った家の中でのこと、幼稚園、学校、会社であったことをつくづく思い起こしながら、教育とはなんなのか?を考えてみると、それは個人の才能の開発というより、命令に従わせるためのマインドコントロールの面が非常に強いと思う。

教えるということ、あるいは「教育者」らの実際行っている行為とは、心理的に抑圧し、飼い慣らし、従属させ、束縛することである。 技能取得のための厳しさを実際逸脱してないか? 教育現場は人を褒めるということをめったにしないが、それも美徳というものだろうか? 職場において気軽に質問できない雰囲気、重苦しさとこの非効率! これは現代日本の非人格教育の成果であり、国家衰退の敗徴はいちょうでもある。

結果を見て、修正点を見出して改善を図る、ということに思い至らないのが日本社会ではないか? 万事が万事そうである。 人を育てるのに愛がないなら、そんなもの、凶育とか、狂育と書いたほうが実態に即している。育てられた者は育てた者を、常に、ころそうとする、そういう殺伐とした景観が終わらないのである。

 

和製英語: パワハラ power harassment は、「同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為」と一般に定義される。問題とされる行為は以下の通り。

1)身体的な攻撃
 暴行・傷害
2)精神的な攻撃
 脅迫・名誉毀損・侮辱・ひどい暴言 抽象的な指摘に終始する
3)人間関係からの切り離し
 隔離・仲間外し・無視
4)過大な要求
 業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害
5)過小な要求
 業務上の合理性なく、能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと
6)個の侵害
 私的なことに過度に立ち入ること

 

 

 

無知無能の神

典型例を幾つか挙げる。 1)譬えば、注意を促す気の利いた言葉の一つも口にしない。そのくせやめろと言わない、というケース。これはじつに不思議な傾向なのだが、お前なんか気に入らないと言いつつ、もう辞めろ、とは言わないのである。 要件は、やめてもらう、ただそれだけで済むはずなのだが、人を活かそうという気はもはやないのだから。 こういう矛盾した言動は心理学でいうパーソナリティ障害:A群妄想性 分裂病質 分裂病型)に該当するだろう。

 

2)また、キレてブチまけ放題の一方通行の常習化。言われるだけ言われてあとどうするかは「その人次第」というケース。「わからないことがあったら聞け、聞くは一時の恥」と、のたまう。で、聞いたり報告したりすると、上の空の返事だったり、そんなことも知らねーのかとか、そんなところまで面倒みきれないと言う。笑止千万。

「やめちまえ」「いつまでもこの職場にいても怒られるだけだぞ」と行った後に、「どうするかはその人次第」。

これは明らかな病理であり、心理学でいうパーソナリティ障害:B群境界性 – 情緒不安定 演技性 自己愛性)に該当するだろう。

 

3)もう一つ別の典型が理系バカ。なんでも検索バカ。専門分野に没入が一方的に専門用語使用を周囲に強制。理系のほうが上だと過信しており、感動感激のツボが他人には極めてわかりにくい。その結果、いつの間にか相手を怒らせる独善先行。

 

 

さてさて、もう出会いたくもない、もう見たくないと思っていても、降りかかる火の子のように次から次と湧き出てくるこのような人でなしたちに対して、偽善者は許せないなどと言ってその場で喧嘩して器物損壊なんかするのも大人気なくてしょ〜もない話である。

経験から言うと、いずれにせよ、どうせ最後は滅茶苦茶になって終了、というパターンになるに決まっているのだ。

 

 

 

よく日本人の長所として真面目、誠実、清潔、迷惑忌避、礼儀、秩序、親切、控え目等が挙げられ、短所として直情的、本質論大局論回避、主体性欠如、対話下手、集団帰属、非融通性、甘え等が挙げられる。

しかし、上記挙げたことの中から、「真面目、誠実、清潔、迷惑忌避、礼儀、秩序、親切、控え目」がほんとうに導き出されるだろうか?

幾度か転職の機会があったが、正直、人の扱いが下手な上役がほんとうに多い。まことにもって遺憾ながら。従業員なぞというものは、たまにおだてながらそこそこ大事に接すれば長くいてくれるものなのだが、むしろそれが面白くないのだろう

それにもかかわらず、わざわざ求人広告を出して面接までやって人を応募し雇い入れるというのも矛盾している。

自分はあんなに厳しく扱われながらやってきたのになぜこいつらはこんなにぬくぬくとしてやがるんだ、とでも思いが頭をもたげるのだろうか?

外国人には分かるまいが、日本は天国じゃない。 いずれにせよ、人心の掌握に失敗する。最後は必ず愛するものを凶暴に破砕し、恨みつらみの狂気に熱中するようになる。パワハラーらには、個人の能力を伸ばすとか、独自の見解に耳を貸すなどということは「面倒くせ〜」以外のなにものでもない。

全知全能とは真反対に位置する無知無能の神によるパワハラを受けると、どんな人物だろうが無能になる。

 

 

 

言語特性

パワハラー

彼ら無知無能の神の共通点、それは汚い言葉だ。

そもそも、どんな言語でも、一貫性にも理論的関連性にもかける複数の意味を持つ同義語があったりしてただでさえ紛らわしい。言語とはそういうものである。

そのような、何を伝えたいのかはっきり構成できない構造欠陥を隠し持ち、無益で無駄が多い複雑な代物に、パワハラーが己の病状をくわえてオリジナリティを演出するから救いようがない。彼らの「てにをは」の取り違えとくに目立つ。そして、「てにをは」の取り違えを責任転嫁するという体質ができあがってしまっているのだ。 彼等は言語の運用能力に重大な欠陥を抱えている。

 

いくら無知無能の神が「バカじゃないの」と面と向かって毎日言おうとも、空虚な響きであり、言われたからといってバカになるわけじゃない。残念でした、とでも言ってやるしかない。

その侮辱の言葉は発したその人のものになる。壁を作って物陰で、たとえこそこそ口から言葉を吐いていたとしても。自分の言葉の責任は、めぐりめぐってその人のものになる。

心に愛がなければ、相手の胸に響かない。

 

教育が仕事じゃなかったのだろうか? どうして、「あと一歩」をうながす工夫ができないのだろうか? 一体なにをやっているのか? 馬鹿はどちらであろうか?

人の恨みを買うのはとても怖いことである。 だからこそ、人は自分の発言に慎重になるのではないだろうか?

自己調整機能を喪失したら、さらにむずかしい自己改革・体質改善を将来の自分のツケにするだけだ、と私は思う。 自分の反応について部屋の外から気を遣ってくれる人がいるということに、気づきもせず感謝することもなく、パワハラーらは死んでゆくのだろう。人として生きた意味がどこにあるのだろうか?

 

 

 

 

話は変わって – 戸主こしゅ制度

現行民法以前の、1898年 – 明治31年制定民法に、家制度があった。親族関係うち更に狭い範囲の者を、戸主乃至ないし家族として一つの家に属させた上で、戸主に家の統率権限を与えていた制度。江戸時代の武士階級の家父長制的家族制度を基にしていた。

戸主は、家の統率者という身分であり、以下のような権能を与えられていた。

家族の婚姻・養子縁組に対する同意権(改正前民法750条)
家族の入籍又は去家に対する同意権(ただし、法律上当然に入籍・除籍が生じる場合を除く)(改正前民法735条・737条・738条)
家族の居所指定権(改正前民法749条)
家籍から排除する権利
家族の入籍を拒否する権利
戸主の同意を得ずに婚姻・養子縁組した者の復籍拒絶(改正前民法741条2・735条)
家族の私生児・庶子の入籍の拒否(改正前民法735条)
親族入籍の拒否(改正前民法737条)
引取入籍の拒否(改正前民法738条)
家族を家から排除する(離籍)権利(ただし未成年者と推定家督相続人は離籍できない)
居所の指定に従わない家族の離籍(改正前民法749条)
戸主の同意を得ずに婚姻・養子縁組した者の離籍(改正前民法750条)

家制度には家を統括する戸主の権限濫用により家族の権利が犠牲にされる危険性が危惧され、大正時代には法律上の家族制度を緩和すべきであるとの改正論が主流を占めた。その後第二次世界大戦によって改正作業は中断するものの、戦後、家制度が新憲法24条等に反するとして、日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律(昭和22年法律第74号、昭和22年4月19日施行)により、女性参政権の施行と日本国憲法の制定に合わせて、1947年5月3日を以って家制度は廃止された。

 

このような記述は時代を忍ばせる。なかなかのパワハラ適遂行環境ではある。

直情的な日本人上司達は、自分の祖父や、父がその制度の中で生きたように、自分が戸主となる制度を無意識に希求しているのかもしれない。

 

 

 

職場住所地を管轄する労働基準監督署へ相談した – こういう時には話を大きくするに限る

​​職場を管轄する労働基準監督署へ相談

 

解雇権限の無い上司に「やめちまえ」言われた翌日、平日にしれっと欠勤して相談に行った。

WordPress の更新について進言を上司から私が求められ、更新作業はメジャーバージョンに限るべき旨わざわざ文書作ってその上司に進言したところ、「レイアウト崩れの可能性があるのにそれを進言するエンジニアなんていない、やめちまえ」、の流れ。

一生更新するな、とのおおせである。php他どんどんバージョンアップしてる中でそのように考える発想は、確かに意味不明である。このことについて、結局説明はなかった。

彼の発想や知識は、もしかしたらもはや中古の知識じゃないのだろうか? 適応できない機能が出てきて或る日突然ホームページが停止する日が楽しみだ、覚悟しておけ、と思う。

そもそも、結論ありきなら進言なんて必要ないのに、なにをさせたいのか、もはや末期的状況である。

 

さて、そのような経過も踏まえ、仮に、退職した後で、今までにあったあんなことやこんなことをハローワークに報告した際に、自己都合から会社都合に理由変更される可能性はあるかどうか、「やめざるを得ない状況」を主張できるかどうか、ということを、いつ、誰が、「〜」と発言した、メモの記録を見ながら、担当官に話した。

 

結果、担当官から回答していただいたのはおよそ以下のような内容となった。

・肩たたき等の事実は、通常退職勧奨と見做され、会社側の働きかけと認定される。肩たたき等の事実があれば、会社都合である。

・パワハラに該当すると思われる要素は(今回の私の話の内容では)多く見受けられる。

・反面、専門家同士のコミュニケーションが少ないのでは?

・労働基準監督署の役割は、会社に対する助言・指導。 雇用保険状の手続きはハローワークが行う。

 

 

担当官の方、ありがとうございました。「コミュニケーションが少ない」とのご指摘は、これはその通りで、しかし相手あってのコミュであるから、コミュとは改善だの心がけだのという努力によってどうにかなるという代物ではない。この点、以下の本が悩める子羊の光明となる。ご一読をお薦めする。

 

 

 

 

私は敵なのか?

私は敵なのか

最大限に気を遣って、最後にその挙句が、あらん限りの侮蔑の言葉で人格の全否定。 それはもう部下への訓戒ではない。

言われた側は思う。

私はなぜここにいるのだろう? 明日もわたしはここに来てほんとうにいいのだろうか? これ以上人間関係を維持する意味があるのか? そのように思うようになることは、本人の責任だけなのか?

上役は一体何をしようとしているのか?

 

過去にわたしが経験した職場でのパワハラには以下のようなものがある。ご紹介しよう。

パワハラ情報センター
「〜ですよね(確認)」 → 「〜に決まってんじゃねーか」
「覚えようとしてんの?そういうところがおかしい」(上司のパスワード入力が終わるのを待っていたにすぎない)
「文才のある人来ね〜かな〜」(私が構成した文章を皆がモニターで見ている前で)
「いつまでもこの職場にいても怒られるだけだぞ」
「お前は本当になんにも考えないで今まで生きてきたんだな」
「職場で学校や勉強の話なんかしてるからお前はどこまでいっても半人前なんだ」
「今までなんにも考えずに生きてきたんだな~」
「お前はホント糞」
「お前は何か人の役に立つことがあるの?」
「俺の視界から消えてくれ」

パワハラクリニック
「お前馬鹿じゃないの」
「あなたは何もしていない」
「遊んでるようにしか見えない」

パワハラ新聞専売所
「あなたのこと私信用しない」(手を振りながら玄関から出てくる「顧客」)

パワハラ警備
「俺の言った通りにだけやってればいいんだ」(深夜0時の集合にもかかわらず夜10時に出勤させ無意味な2時間待機の理由を説明しない)

パワハラ農機具
「お前の給料俺が稼いでやってるんだぞ」
「おれがよければすべてよい」

中等教育
「おまえたちのためにやってやってるんだ」
「他の方法じゃお前解けないだろう」
「こんなかんたんな問題も解けない奴がいるから、俺たちが食っていけるんだ」

初等教育

(クラス全員の前で)「こいつのせいだ。みろこの顔。」
「あいつみたいなやつが、修学旅行先で柱に落書きしたりする」
(場外まで生徒を突き飛ばし。そのまま殴る蹴るの体罰。

家庭(戸主)

「こいつは奨学金で学校に行く。」(だから大黒柱である自分は稼ぎを家に入れず放蕩できるという意味)

 

パワハラで退職した同僚の陳述を書面でする機会があった。私見として次のように私は追記した。

気持ちよく仕事ができる職場環境を作ろうとか、失敗した部下を薫陶し成長につなげようといった前向きな姿勢は当該上司にはまったくなく、気違いのように個人の誹謗中傷に熱中していたが、それでもT氏は健気にも長くいたいと耐えておられた。

会社にとって私たちは敵なのか? 人の思いや陰の努力を踏みつけ不毛の荒野としなければ気が済まないこのような人でなしを、世に解き放ったのは一体誰なのか?

当該書面はハローワークに提出された。

約2ヶ月後、T氏の退職理由としてパワハラが認められ、雇用保険支給と職業訓練選抜合格が決定した。

 

 

そうえいば、植民地、すなわち大強奪帝国を築き上げた大英帝国など、過激パワハラの民族絶滅版であり、なんとも残虐非道な顛末である。 ポルトガルもスペインも、イギリスもオランダもフランスもベルギーも、そういった事実関係一般について、謝罪はしていない。一方自称教育者達を食わせている教育現場とは、現代の植民地強奪地なのかもしれない。

そのようなわけで、この国の基礎教育およびそれを土台とする社会教育とは現状、超えてはならない一線を超えた凶育である。信用する気になど私にはとてもなれない。

 

 

 

 


ところで、最近読んだ本で言うと、今を去ること約3100年前、殷の紂王も、大パワハラ帝王だ。前代までは善政をおこない殷は大いに栄え、紂王自身も即位から7年目までは優等生で善政を行ったという。

大人になってから豹変する優等生と言えば、最近の財務官僚もそうだ。成長期の長期の精神的抑圧と、のちに成功・出世して周りからチヤホヤされるようになって思い上がるようになってからの歪んだ解放が、パワハラの元兇であろうか?

この点を指摘する論者は多い。しかし、本人の思い上がり・未熟さが頭を擡げるのと同時に、美への追求心も突如覚醒する、ということが、心のビッグバンが、起こる、のではないだろうか?

酒と色に溺れというが、自然の摂理からして、人間は裸が一番美しいのではないか? 創造主がそのように創ったのだからしかたがない。

しかし、この地球上では、恋愛を素直に楽しめない。慣習も影響しているし、増して、厳しい教育環境のもとに育てられ、根源的な美や恋愛への賛美が素直にできないまま成人し、結果自分が成長過程で接することのできなかったものに対し、無意識の羨望と悔恨を内に秘めたまま、焦燥し、夢中になるのではないか。そう言う人は大抵異常者か犯罪者であろうが、正常人を自称するわれわれとて、単に紙一重で、異常者や犯罪者でないのは単に偶然かもしれない。人を狂わせる要因はたくさんあるにも関わらず、そういった要因を人類はほとんどぜんぶ排除できていないし、すでに異常者・犯罪者の烙印を押された者達の心の傷を完全に癒すことも、できているとはとても思えない。

話を恋愛に戻すと、いくら夢中になっても、24時間めいっぱい夢中にはなれないものである。からだは適当に休ませねばならないが、それももどかしい。

アドレナリン adrenaline (C9H13NO3 米:エピネフリン Epinephrine )はあらぬ方向に放出一方である。

 

神が創りたもうた被写体を恥じ、隠すのは倫理という手続きのためだ。まして愉しむなんて、見えないところでやれ、倫理はそう主張する。 愛に狂ったパワハラー(パワハラ + モンスター)達が求めているものは、実は至高の愛の境地、悦楽・安心・相互理解・満足といった、いわゆる「接触する幸せ」であり、そういう願望と社会生活の中での妥協点・適当な加減がわからないがゆえの狂気の暴走・パワハラ、というわたしの仮説である。 それは狂気ゆえ、言葉のやり取りのルールとかマナーとか慣習とか、そういう曖昧模糊な人間関係にまとわりつく要素など眼中になく、人間関係はとっくに雲散霧消する。野蛮人とか原始人への懐古主義かもしれない。

 

 

深層心理を適切に管理指導できる真の公教育は、地球上に存在しない、と私は思う。倫理の目くじらをたてる世論の政治的ため、思い切った実験すらできまい。 ニュースになって大恥かいている異常者とくらべて、自分は絶対にこいつらとは違う、と絶対の確約を証明できるほどに確立された科学的手法は、ない(あるとすれば、どんな異常者も正常に治療を施せたり、過誤冤罪なく社会罰を与えることができるということである)から、自分が今、異常者であるとして社会から見做されていないのは、たんなる偶然である、そういう側面があるのである。。

紙一重で奈落の底、という状況をくぐる。間一髪と短いなぎの連続を歴史と呼ぶ。

 

酒についてはわたしはよくわからないが、せっかく料理の知識を人口に膾炙させることに成功したのに今や反日の烙印を押され連載休止の憂き目を見るまでに落ちぶれた「美味しんぼ」をめくりながら銘柄の多さ・伝統の魂には関心する。酒も女もつきあい方の要諦は、ほどほど、という以外にない、のだが。。。

財をむさぼる者は他物を奪って衣食いいしす。色に耽る飛蛾は炎を払って身を滅ぼし、酒を好む猩猩しょうじょうほとぎほとりに縛せらるる。
空海著 『秘蔵宝やく

 

 

 

 

 

出処進退

出処進退

官職に留まるか野に下るか、引き際の判断を迫る士道観。

すなわち、親に過ちがあっても骨肉の情で繋がる子は親についてゆかねばならないが、主君と臣下となると話は別である。義で結ばれている主君と臣下の関係において、主君が間違っていれば臣下は主君を見捨てることが許されるのである。

 

親とて愚昧のままならば見捨てる。

改善の見込みのない上司は見捨てる。自分の成長に資さない上司に用はない。 兵いまだ戦わずして敗徴はいちょうを見る。

またひとつ、長く在籍したいという希望が消える。

このような根本の原因を解消させるのがひいては雇用安定、出生率増加に繋がるのではなかろうか?

出生率増加策・少子化対策のために外国人労働者受け入れ。政府は相互に因果関係の無い2つのことを短絡している。このままでは少子化問題は収束には向かわず、別の厄介な問題をあたらに創出するであろう。移民が反日国の構成員である。移民がイスラム教徒である。そのことの意味を政府は分かっているのか? 彼らは、もはやすでにひろく知られているように、日本社会の慣習や秩序を尊重せず、無視する。そして調和とは反対に、対抗する。これは人口が一定水準に達していない問題というよりむしろ、政府の発想が一定の水準に達していないことの問題である。

 

 

 

 

彼等はどうすればよかったのか

​​彼等はどうすればよかったのか

「お前は首だ」とはっきり彼等は言えばよろしい。それで終わり。それだけで必要充分である。ご苦労である。 のはずなのだが、そんなことがわからぬのがおおい。この非効率は誠にもったいない話で、社会的損失である。

そう言ってやることによって言われた側は、6ヶ月以上の雇用保険支払いがあれば、3ヶ月の待機期間なしに、会社都合による退職がゲットできるのだから!

パワハラーにしてみれば、めざわりな邪魔者がいなくなるし、お互い望んでいた環境がお互いきっと手に入る一石二鳥であろうのに。

 

 

小人の心、誠にし難し。